水鴎流居合剣法は鞘離れの一瞬に生死を決し敵を制する要術である。その根源は敵を倒し身を 守るためのものではあるが、錬心の業として武人必須の大道である。居とは何であろうか。両々剣を執って相対し気まさに発せんとする形である。合とは何であろうか。彼我の気合が合致し、神人合一、天地一枚の境に入り、敵の機を未熟に察し、抜かずして敵を制することをいうんである。当流居合の窮極はいたずらに剣を競うことでなく、敵を剣が鞘にある状態で斬るための神気を養うことにあり、斬ることは心の中にあり、技にこだわってはならない。錬心錬胆をもって無怖の極処に徹しなくてはならない。流儀の掟を守り流祖正伝の刀法を厳守し、これによって自我を滅却しその本義を違わない努力をすることである。その本義とは、「眞如法界を徹証し無住剣の壇場に至らんがため也。正座して気丹田に満つ彼我の見たく生死なし。心明鏡の如く磐石の如し渾然として万方一如、天地一枚也。微塵敵の崩を生ずるや静中の動 ここに発して白刃一揮す。発し終って動又静に帰す。陰陽合体動静一致一切三昧也」
 当流は総合武術として継承し、現在は十五代勝瀬善光景弘がその指導に当たる。当流居合剣法 の修練は単独動作に重きをおかず、すべて相手をつけて行う実践稽古である。相手があってこそ武術であり、戦国の時代より面割る奥技を追求する最良の方法と信じているものである。特に間合い、気合、技の起こりなどの修練には絶対に必要なものである。形にこだわることなく斬ることを最重視するの伝統こそが四百余年にわたり継承された要因である。
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